建学の精神|学園の理念|金蘭千里中学校・高等学校

金蘭千里中学校・高等学校

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学園の理念

建学の精神

建学の精神

 本校の「建学の精神」は、右記の5点に集約されます。中等教育は、単に読み書きを教えるだけでなく、人間を鍛え人格を高め、より優れた人に育て上げていくということでならないと考えています。

  • 私塾
  • 道場
  • スポーツマンシップ
  • 自主独立
  • 自然
私塾

師と仰ぐ人のもとで塾生が、師に私淑して直接に師の人格的感化に浴し、人間として成長していく。

道場

自ら道場に入門し、道場の精神に従い、その精神になりきることができるように、己を作り替えていく。

自主独立 英国のパブリックスクールの精神

生徒が自主独立で個人としての権威を持って己を磨き、やがて成人したならば、「多数の人々がそうしているのだから同じようにしよう」というようなことのない堅固な個人として行動する。

スポーツマンシップの涵養

若いうちに何か一つのスポーツを徹底して行い、スポーツマンシップを体得する。男子はサッカー、女子はバレーボールを校技と定める。

自然に接する

成長期の青少年は、山野の草木の間に伏して、草木と息を共にし、陽を仰ぎ星の光を眺めて生活し、自然の持っている逞しい生命力を己の中に吸い込むべきである。

学校法人金蘭千里中学校・高等学校 辻本 賢

 1974年、佐藤一男初代校長は創立10周年を機に、さらなる発展を願って、本校の建学の精神を「わが学校の生まれつき」と題して、 生徒・保護者、教職員に語りかけました。

学園長 佐藤一男

 私は学校卒業後ずっと、戦前は中学校や高等女学校に勤務し、戦後は高等学校に奉職して、一貫して中等教育に従事してきました。 その間に、青少年を指導するにはいかにあるべきか、ということを自分なりに考えてきました。教育ということは、単に読み書きを 教えるだけでなく、教える間に教えられる者の人間を鍛え人格を高め、より優れた人に育て上げていくということでなければならない と思い、学校はいかなるものであるべきかをいろいろと考えてきました。 1962年の春、公立学校を退職した後、心中秘かに理想と考えていた学校を作ってみたいと思いました。 時あたかも造成中の千里ニュータウンの北公園の中に、学校用地として予定してある土地のあることを知り、大阪府の方へ払い下げを申請しました。大阪府の方では、千里ニュータウンは理想的な住宅都市として造成中なので、その中にただ普通の高校を建ててもらっては困るという返事なので、ただの高校ではない、特徴のある模範的な高校ですというので新しい高校の新設計画をいろいろと作って提出いたしました。
 私が、人間を育てる学校として第1に思いつきましたのは私塾であります。私塾で師と仰ぐ人のもとで幾人かの塾生が、師に私淑して直接に師の人格的感化に浴し、人間として育成していく、これが人間を教育する原型であると考えました。師の人間的感化を直接に感受するためには、弟子が余り数多くては困難です。しかし、弟子の切磋琢磨ということも必要であることも考えて、1学級30名と定めました。 学級担任の先生が塾頭として30名の子弟を指導し、その塾がいくつか集まって学校をなす。仮に30の塾があるとすれば、全校生徒900名で学校ができる。私は塾が基本の学校であるから、あまり大きな学校は作りたくないと思いました。
 人間を鍛え育てるために、日本には古くから道場があった。仏教の道場ではその道に入った初心者がその道場の掟に従って、いろいろの修行をし困苦を重ねて己を鍛え、自分がその道場の精神に従い、その精神になりきることができるように己を作り変えていくのでした。 今日の学校も単に知識を習得するだけでなく、生徒が在学期間に己の人格を鍛え直し、より正しくより強い人柄に作り直すというのであれば、 学校を一つの道場と考え、種々の困難に堪え、長きに亘って己を磨く事によって角が取れ、自ら光を放つようならねばならない。生徒は、 学校に入ったことは己を錬磨するために道場に入ったつもりで、日夜己を磨くことに精進しなければならない。私が学校を作るとすればできるだけ道場の空気を帯びた学校を作りたいと思いました。
 私は1959年に文部省の第一回の校長等海外教育事情視察団というのに参加し、主に、英国の学校を視察しました。その視察のうちで、 特に印象深かったのは、南イギリスの海岸のブライトンの近くの丘の上にあるランシングというパブリック・スクールを視察したことである。 近くに人家のない丘陵の上にその学校は建っていました。校舎で一番高く聳えているのが礼拝堂で、授業する校舎その他は、それに附属するように建ててありました。礼拝堂はゴシック式の内部は薄暗く壮麗な構えで静寂な空気がしっとりと沈んでいた。これが学校の精神的中心のようであり、学校はこの礼拝堂を主軸として動いているようでありました。パブリック・スクールといっても、私立の学校で生徒は14,5歳から 18,9歳までの男子で、総数三百数十名で皆家庭を離れて、この学校のハウスという寄宿舎に50名宛くらい分宿して学校に通っているのでありました。 ハウスには、ハウスごとに教授の一夫妻が宿泊をともにして生徒と起居を同じくしている。また、教室からハウスへ往復する生徒たちの挙動見るのに、 生徒たちはすべて背広ネクタイ靴と紳士として恥ずかしからぬ服装に威儀を正し、子どもらしい雑談を交わしたりふざけあったりすることは全くなく、 いわば中世の僧院の廊下を修道僧が行き来するかのように慎重に押し黙って行動をしている。友達相互の友情というものはあるのだろうが、 各人はそんなことには頓着なく、それぞれ独立自主で、自分は自分の責任で挙動している。イギリス人の独立性を目の前にまざまざと見せられた心持ちで 頭の下がる思いがしました。中世の僧院を今に生かしたような礼拝堂のある宗教的雰囲気とそこで慎重に行動している生徒たち、私は、イギリス人の独立性はそうしたパブリック・スクールで養われるのだなと、深い感銘を持ってこの学校を眺めました。私は、私が学校を作るならば、生徒がそこで自主独立で個人としての権威を持って己を磨き、やがて成人したならば多数の人々がそうしているのだから 同じようにしようというようなことのない、付和雷同性の全くない堅固な個人として終始するような学校を作りたいと思いました。
 人があなたのスポーツは何ですかと聞かれたとき、これというスポーツはやっていないと答えるのは、その人の一生がいかにも貧弱で淋しい。 人はできるならば、若いうちに何かのスポーツに熱を入れ、スポーツマンシップを身につけておくべきだと思っていますが、今日の高等学校は大学入試の 準備があって大変忙しく、みなにスポーツをやらせスポーツマンシップを体験させるためには、何かのスポーツを学校でやらせる必要がある。生徒はラグビーもやる、 バスケットもやる、また柔道もやるというように広く浅くやるという必要はない。何か一つのスポーツを徹底してやり、スポーツマンシップを体得することが必要であろうと考えまして、本校では、男子はサッカー、女子は、バレー・ボールと定めました。
 わが校に来る青少年を見ますと、いずれも人口過密の都市生活に日常を送っているものであり、見ているといかにもひ弱く神経質であります。 日々生長しているこの生長期の青少年は、もっと多くの自然に接し、でき得れば山野の草木の間に伏して草木と息を共にし、陽を仰ぎ星の光を眺めて生活し、 自然の持っている逞しい生命力を己の中に吸い込むべきであると考え、各学年ともキャンプを行うよう計画しました。
 こうして生まれた金蘭千里も早十年の年月を閲した。その間、竹内校長先生始め職員の方々の献身的なご労苦により当初の計画に副い学校は育成され、 今日の姿を見るに至りました。先生方のご苦労は元よりでありますが、父兄の方々の並々ならぬご声援、一般社会の方々のご同情、殊に小学校、中学校の先生方の ご厚情により、今日まで無事に育った事を、襟を正して感謝いたします。また生徒のみなさんも素直によく学校の指導に服して、穏当な空気に生徒の社会を作られたことにも敬意を表します。

『学校だより』創立10周年記念号(昭和49年11月発刊・第4号) より

理念